大阪高等裁判所 昭和62年(ラ)422号 決定 1987年12月03日
抗告人 上原直也 外2名
抗告人ら法定代理人親権者 父 石川正夫
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人らの負担とする。
理由
一 本件抗告の趣旨と理由は別紙記載のとおりである。<抗告の趣旨省略>
二 当裁判所も、抗告人らの本件申立は失当であると判断するものであつて、その理由は次のとおり付加するほか、原審判の記載と同一であるから、これを引用する(ただし、原審判2枚目表7行目の「旧性」を「旧姓」と改める。)。
婚外子の「父の氏への変更」申立は、民法791条の趣旨にかんがみ、婚外子が父に認知され、その父母と共同生活をしている場合にあつては、原則として変更を認めるべきであり、また、子の氏の変更は、親族、相続法上の実体的権利義務に何ら影響を及ぼすものではないから、父の本妻や嫡出子ら関係人の意向を考慮するについても、ただ感情的に反対している場合は斟酌すべきではない。
しかしながら、婚外子の氏の変更を認めることによつて、本妻や嫡出子の経済的、社会的生活に影響を及ぼし、かつ、それが原因で反対しているような場合には、氏の変更が認められない場合があると解するのが相当である。
本件についてみるに、引用の原審判説示のとおり、礼子及び一弘らと抗告人らが戸籍を同じくすることによつて生ずる一弘らの就職、婚姻などに支障を生ずる心理的、社会的不利益があり、正夫が家庭裁判所の審判によつて命じられた婚姻費用の支払を依然として多額(300万円弱)滞つていること及び将来、殊に本件氏の変更申立が認められることによつて、完全な履行が一層尽されないおそれがあり、かつ、礼子の反対は右のような事情によるものであると認められるから、単なる感情的反対ということはできない。
よつて、原審判は相当であつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人らに負担させることとして、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 上田次郎 裁判官 阪井いく朗 川鍋正隆)
抗告の理由
第一はじめに――原審判申立の趣旨等
一 抗告人らは、父石川正夫(以下正夫という)と母上原久子(以下久子という)との間に出生した非嫡出子であり、父正夫が認知をした子である。
二 抗告人らの父母は、昭和49年夏頃から内縁関係にあり、抗告人らは、右父母の下で、出生時から現在まで、「石川」姓を名乗って生活し、周囲からも「石川」姓で認識されてきた。
三 ところで、抗告人らは、今後、小学校――現在、抗告人直也6年、同美奈5年、同広志4年――を卒業し、中学での生活を送る過程で、より深く社会生活に係わって行くことになるが、それに応じて戸籍上の氏を自ら使用し、また、第三者により使用されざるを得ない機会が益々増えてくること明白である(例えば、差し迫っては、小学校の卒業証書の記載・授与、中学進学時の届出があり、また中学での生活・高校受験又は、就職及びその準備等がある)。
四 そこで、この際、抗告人らの氏を、出生以来使用してきた父の氏である「石川」に改めるのが、抗告人らの福祉・利益に適うので、本件申立をしたものである。
五 なお、父正夫には、(戸籍上の)妻石川礼子(以下礼子という)と、右礼子との間に生まれた長男一弘(昭和47年4月15日生)、長女香(昭和48年6月7日生)がいるが、昭和48年10月頃から別居しており、生活実態はない。
第二正夫の妻礼子の反対理由と原審判の判断。
一 ところで、原審判によると、正夫の妻礼子は、左記理由により、本件氏の変更に反対しているとのことである(理由、2の(1)のケ)。
1 申立人らが一弘らと同一戸籍に登載された場合、一弘らが将来戸籍謄本を見る機会があればショックだろうし、何らかの不利益を受けないとも限らないこと。
2 金額面で折り合いがつけば離婚に応じるつもりであり、きちんと離婚するのが筋であること。
二 しかし、原審判は、礼子の右反対には左記の通り、理由がない旨判示している(理由、2の(2))。
1 (右礼子の心情ももっともであるが)、申立人らに対する父正夫の認知によって同人の戸籍上婚外子の存在が明らかな以上、一弘、香の心情あるいは、就職等に関し、申立人の入籍がそれ程、重大な支障をきたすとは考えられないこと。
2 申立人らの石川姓への氏の変更を認めれば、正夫が、益々一弘、香の扶養義務をつくさなくなるとの危険性についても、父親の婚姻家族に対する有責行為の有無という偶然的な事情によって、氏の変更ができたり、できなかったりすることになり、いうなれば親の責任を子に転嫁させるという結果になってしまい不合理であること。
3 特に、本件では、正夫と礼子、一弘及び香との正常な家族関係は崩壊してしまっており、修復の可能性はなく、そのような状態では、申立人らの石川姓への氏の変更を認めることと正夫が一弘、香の扶養義務をつくすこととの間に余り大きな関連性を認めることには疑問があること。
三 しかるに、原審判は、結局左記理由により、本件申立を却下した。
1 礼子の前記心情は、単に感情的なものにすぎないということはできず、戸籍上平穏でありたいと願うことに対する精神的苦痛であること。
2 申立人らの氏の変更の必要性も抽象的なものであって具体化しているとはいえない点があること。
3 その法定代理人の有責性及び妻・嫡出子らに対する扶養義務の懈怠が顕著であること。
第三しかし、原審判は左記の点において明らかに不当である。
一 まず、民法791条による子の氏の変更については、子の福祉を第一に考慮すべきものであって、これに対する父の妻の反対は、それが子の福祉に適うものならともかく、そうでない限り考慮すべきでない。
1 この点につき、原審判は、「礼子の心情」は、「感情的なものではなく」、「戸籍上平穏でありたいと願うことに対する精神的苦痛である」というが(前記第二の三の1)、「子の福祉」以上に、妻礼子に右のような戸籍上の法益があるとは考えられない(東京高等裁判所、昭和60年ラ第285号、昭和60年9月19日付決定、判例時報1、167号、41頁)。
2 そもそも、戸籍上の記載により、実体的な権利関係(親権・扶養・相続等)が変動するものではないし、戸籍上の平穏が害されるというのなら、原審判も判示しているように(前記第二の二の1)、既に、認知により、非嫡出子の存在は、戸籍上に記載されているのである。
3 法律上の婚姻関係は、保護されなければならないが、嫡出子であるか、非嫡出子であるかは、子供の責任ではない。
非嫡出子に対しても、その社会的・身分的関係においては、できる限り嫡出子に対すると同一の条件が与えられるべきである(ドイツ連邦共和国憲法6条5項、岩波コンパクト六法、憲法24条参照条文)。
4 本件のような場合、氏の変更により、非嫡出子が父及びその妻と同一戸籍に入るというのは全く技術的な問題(制度)に過ぎない。
5 右のような技術的な制度が採られていることから、父の妻が非嫡出子の福祉と無関係に、その氏の変更を拒否することができるならば、氏の変更の制度そのものの意味がない。
6 従って、また、右のような理由――技術的な制度から生じる妻の反対――で子の幸福追及の権利を阻害すべきではない。
二 次に、原審判は、抗告人らの氏の変更の必要性は抽象的なものであり、具体化していないというが(前記第二の二の2)、先に述べたように(前記第一の三)具体化している。
1 抗告人らは、出生以来、「石川」姓を名乗り、「石川」姓によって社会関係を形成してきた。
2 そして、今後、小学校を卒業し、中学での生活を送る過程で、現状では、戸籍上の氏と日常使用している「石川」姓が異なる為、前述のように、自ら二つの姓を使い分け、若しくは、第三者により戸籍上の氏を使用される機会が増えてくること明白である。
3 すなわち、小学校の卒業証書の記載及びその授与、中学進学時の届出、中学での学校生活、高校受験又は就職及びその準備――高校入試模擬試験の受験とその成績の公表又は、求職活動等――等々である。
4 そして、右のような姓の選択を抗告人らに強い、又、第三者が行うことは、抗告人らの健全な精神の発育のためには、決っして相応しいものではない。
5 よって、本件氏の変更を申立てたものであるが、現時点でなおかつ、変更の必要性が具体的でないというならば――その内、抗告人らは中学も卒業し、成人に達っしてしまうから――所詮「子(児童)の福祉」という憲法上の理念は画餅に帰してしまい、到底納得できるものではない。
三 また、原審判は、正夫の「有責性」とか、「(同人の)妻・嫡出子らに対する扶養義務の懈怠が顕著」と云うが(前記第二の三の3)、本件のような氏の変更の許否の判断において、いやしくも、子(抗告人ら)に何ら関係(帰責事由)のない親の問題を考慮すべきではない。
1 右のような事由を考慮すべきでないことは、原審判も自ら判示しているところであり(前記第二の二の2、3)、それにもかかわらず、同じ理由で本件申立を却下した原審判の趣旨は理解できない。
2 思うに、原審判は、礼子の「金額面で折り合いがつけば離婚に応じるつもりであり、きちんと離婚するのが筋である」との主張(前記第二の一の2)を何らかの意味で斟酌したのであろうか(もっとも、礼子の右のような主張は、本審判書の送達を受けて始めて知った)。
3 しかし、「(礼子には)正夫との共同生活を回復する意思が全くないばかりか、正夫に対して憎悪心すら抱き、ただ二子との将来の生活不安と正夫に対する報復感情から正夫の離婚要求を拒否している」のであり(原告正夫・被告礼子間の大阪地方裁判所昭和60年タ第150号離婚等請求事件、判決書15枚目表)、礼子には、「金額面で折り合い」をつける意思などない。
4 ちなみに、正夫は、右訴訟での和解の席上、「礼子に対し離婚の同意を求めて婚姻費用の未払額を含め金700万円余の支払をする旨申出るなど、婚姻解消について正夫なりに誠意を尽くそうとした」し(右判決書11枚目裏)、裁判所の和解案(金1、000万円の支払と、今後の養育費の支払)受け入れのため親類・縁者等に金員借用の申入れなどしたが、結局、礼子は、「お金の問題ではない」として、和解を拒否したのである。
5 正夫と礼子の右現状は、誠に不幸なことではあるが、その発端は、「礼子の正夫に対する接し方の拙さや母への依存の強いこと」にもあったのである(申立人礼子、相手方正夫間の大阪家庭裁判所昭和50年家第1、381号婚姻費用分担申立事件、審判2枚目裏)。
6 しかし、右は何れにしろ、正夫・礼子間の問題であり、それを抗告人らの氏の変更の問題に反映さすべきではない。
7 なお、正夫が、如何なる事情――自転車業界そのものの不振及び円高不況等による石川貿易(株)の経営不振等――にせよ婚姻費用の支払義務を完全に履行できなかったことは礼子・一弘・香に対し誠に申し訳ないことである(右婚姻費用の支払状況は別紙の通り)。
8 しかし、かかる事実をもって本件氏の変更を拒否するということは、それこそ、親の責任を子に転嫁させるもので、許されるべきでないこと原審判自体判示していることである(前記第二の二の2、3)。
四 以上の通り、原審判が本件申立を却下したのは不当であり、合理的理由がない。
1 なお、原審判は、昭和62年4月20日、「本件申立に有利と考えて」抗告人らの親権者を母久子から父正夫に変更した旨判示しているが(審判3枚目裏)、右変更は、抗告人らの生活の実態に合わせたものである(また、現在までそうしなかったのは、礼子に対する遠慮もあった)。
原審判の右表現はその公正さを疑わしめる。
2 また、原審判は、「(抗告人らの)戸籍と異る氏の使用は監護者が選択した」というが(審判、5枚目表)、それは当然であって、両親が抗告人らの福祉を考えて「石川」姓を名乗らせたのである(抗告人らは、父正夫・母久子及び祖父母らと同居してきたものであり、そのような状況で、父や祖父母と異なる「上原」姓を名乗らせるのは、酷であり、現在の日本では、子の福祉に反するであろう)。
3 もし、原審判の右判示の趣旨が、現在の事態――日常使用している姓と戸籍上の氏の乖離――は、親が選択したことであるから抗告人らも甘受すべきであるというのであれば、それこそ、「子の氏の変更」の制度そのものの意味がない。
昭和年月日
支払額
昭和年月日
支払額
49. 9迄
毎月60,000円
56. 7.15
311,250円
49.10~50. 3迄
毎月50,000円
56.12.21
290,000円
51. 6.25
236,820円
57. 7.16
290,000円
51. 9.14
121,480円
57.12.25
290,000円
51.12.24
151,480円
58. 7.15
290,000円
52. 6.29
188,800円
58.12.24
300,000円
52.12.20
239,300円
59. 7.16
300,000円
53. 7. 7
234,350円
59.12.20
300,000円
53.12.11
178,550円
60. 8.14
300,000円
54. 7. 4
202,230円
60.12.20
300,000円
54.12.18
189,900円
61. 7.24
300,000円
55. 7.12
253,450円
61.12.27
240,000円
55.12.27
302,300円
62. 7. 8
250,000円
上申書(抗告理由補充書)
一 抗告人らの父石川正夫の妻石川礼子に対する婚姻費用のその後の支払状況等につき左の通り補足・敷衍する。
1 石川正夫が石川礼子に対し現在までに支払った婚姻費用の明細は別紙の通りである(添附資料ないし)。
2 また石川正夫が、石川貿易株式会社から昭和61年度、1年間に支給された給与総額は金450万円(税引前、添附資料の1)、昭和62年1月1日から同年7月末日までの同総額は金2,345,000円で(添附資料の2、及び同)、このまま推移すると昭和62年度の給与総額は、金3,845,000円(税引前)程度の見込である(賞与は、昭和60年夏から無し)。
3 石川正夫の収入が、右のような状態であることから、抗告人らの母上原久子も石川貿易株式社の仕事を手伝う一但し、無給-一方、内職-ネックレス・リング等アクセサリー、貴金属用化粧箱の組立・ノリ付け、収入1か月金2万円から25千円程度-をしたりしている。
4 しかし、石川正夫が、今後、礼子に対する未払金-昭和62年7月8日現在金2,980,990円一の減少に努める意思を有していることに変りは無い(本事件及び石川礼子からの履行命令申立事件における石川正夫の陳述)。
二 しかし、もとより、石川正夫の右支払状況等は、本件抗告人らの氏の変更の許否の判断に際し、考慮すべきでは無いこと、既に、抗告理由(抗告状、抗告の理由、第三の三)において述べた通りである。
昭和年月日
支払額
昭和年月日
支払額
49. 9迄
毎月60,000円
53. 7. 7
234,350円
49.10~50. 3迄
毎月50,000円
53.12.11
178,550円
51. 6.25
236,820円
54. 7. 4
202,230円
51. 9.14
121,480円
54.12.18
189,000円
51.12.24
151,480円
55. 7.12
253,450円
52. 6.29
188,800円
55.12.27
302,300円
52.12.20
239,300円
56. 7.15
311,250円
56.12.21
290,000円
61. 7.24
300,000円
57. 7.16
290,000円
61.12.27
240,000円
57.12.25
290,000円
62. 7. 8
250,000円
58. 7.15
290,000円
62. 7.31
60,000円
58.12.24
300,000円
62. 8.28
60,000円
59. 7.16
300,000円
59.12.20
300,000円
62. 4.末
現在未払金
3,110,990円
60. 8.14
300,000円
62. 6.末
現在未払金
3,230,990円
60.12.20
300,000円
62. 7. 8
現在未払金
2,980,990円
〔参照〕原審(大阪家 昭62(家)1956号、1957号、1958号 昭62.7.10審判)
主文
申立人らの本件申立を却下する。
理由
1 申立ての実情
申立人らは、申立人法定代理人父石川正夫(以下「正夫」という。)と母上原久子(以下「久子」という。)との間に出生した婚外子であるが、出生以来両親と同居して監護養育されており、父の認知を受け、また親権者を父と定めている。
ところで、申立人らは出生以来母久子とともに事実上父の氏を称しており、申立人直也の小学校卒業及び中学進学を昭和63年3月及び4月に控えていることもあり、戸籍上も申立人らの氏「上原」を父の氏である「石川」に変更する必要があり、本件申立てに及んだ。
2 当裁判所の判断
(1) 本件記録(戸籍謄本・家庭裁判所調査官作成の調査報告書等)及び当庁昭和60年(家イ)第382号夫婦関係調整調停事件記録によると、次の事実が認められる。
(ア) 申立人らの父正夫は、昭和39年以来正夫の父の経営している石川貿易株式会社に勤務しており、昭和40年ころ知り合つた礼子(旧性長田。以下「礼子」という。)と昭和46年5月30日結婚式を挙げ、正夫の両親宅(母屋)及び会社事務所の敷地内に同居し、同年7月14日婚姻の届出を了し、同女との間に昭和47年4月15日長男一弘が、昭和48年6月7日長女香が出生した。
(イ) ところが、長男出生後しばらくしてから、正夫はしだいに外泊が多くなり、これに対して礼子がヒステリツクな態度に出、正夫が暴力をふるつて応えるなど正夫・礼子間に夫婦喧嘩が絶えなくなり、長女出生後しばらくして正夫は自分の身の回り品を持つて家を出て行き、その後帰宅せず礼子に連絡もとらなくなり、結局いずらくなつた礼子は離婚を決意し、昭和48年10月ころ2子を連れて実家へ帰つた。
(ウ) 礼子は同年12月20日正夫に離婚を求めて調停を申立てたが、離婚については合意したものの、互いに子の親権を主張し、正夫が礼子の要求する慰謝料支払を拒否したことから昭和49年6月21日調停は不調に終わつた。
(エ) その後礼子は、昭和50年5月26日正夫を相手に大阪家庭裁判所に婚姻費用分担審判及びその審判前の仮の処分を申立て、同裁判所より、同年6月13日上記仮の処分として、正夫から礼子に昭和50年6月から終局審判確定まで1ヵ月金6万円の支払を命ずる審判を受け、昭和51年3月22日には、正夫から礼子に昭和50年4月から昭和52年2月まで1ヵ月金8万円、同年3月から婚姻を継続して別居している間毎月金6万円の支払を命ずる旨の審判を受け、確定した。
審判後も正夫の礼子に対する婚姻費用の支払は滞りがちであり、履行命令・強制執行もその効なく、現在滞納額は3、110、990円に達しており、礼子は昭和62年5月9日大阪家庭裁判所に履行命令を申立て(昭和62年(家ロ)第127号事件)、現在同裁判所に係属中である。
なお正夫は昭和50年代前半に滞納が多く、同55年以降は大体毎月5万円の計算で(本来は毎月6万円支払うべきであるが)半年毎にまとめて払つている。
(オ) 礼子と別居後、正夫は昭和49年夏ころから久子と情交関係をもつ親密な仲となり、昭和50年1月ころからアパートで同棲を始め、同年6月ころからは正夫の両親のもとで同居し、同女との間に同年5月13日に申立人直也、昭和51年6月11日に申立人美奈、昭和53年1月12日に申立人広志が出生し、正夫は昭和50年5月28日に直也、昭和51年6月25日に美奈、昭和56年12月4日広志の認知届をし、本件申立をするに際し、有利と考えて昭和62年4月20日申立人らの親権者を母久子から父正夫に変更する届出をして、正夫が親権者になつた。
(カ) 申立人らは出生以来父母と同居して成長し、父母の手続により保育園・幼稚園では終始父の氏である石川を名乗つて来た。そして小学校に入学した後も、学校に懇請した結果、戸籍上の呼称でなく、石川姓を名乗ることを特に認めてもらつており、健康保険も昭和61年以来正夫の被保険者となり保険証には石川直也、石川美奈、石川広志と記載している、結局申立人らは出生以来現在まで日常生活のほとんどの場面で石川姓を名乗つている。
もつとも、申立人らは12歳以下であり、事情を全く知らず、母が上原から石川へ嫁入りしたので、上原という姓で呼ばれることがあるという程度の認識である。今のところ氏で困つていることはない。
(キ) 他方礼子は、現在門真市内の文化住宅で中学3年の一弘、同2年の香と同居し、パート勤務により月収6.7万円を得、正夫からの婚姻費用の支払と合わせて足りない分は礼子の母長田千賀子から毎月6万円位出してもらつて補充しているが、それでも生活費に不足するので、生活保護の前借り(離婚していないので正式な生活保護は受けられない)で昭和62年から毎月7万円を国から受領して生活している。
(ク) ところで正夫は、礼子と離婚するため、昭和60年2月5日、大阪家庭裁判所に夫婦関係調整の調停を申立てたが、礼子は子供達のために離婚には応じられないと主張し、また養育料の面でも折り合いがつかず、右調停は昭和60年4月17日不調に終わり、その後大阪地方裁判所に離婚等請求訴訟を提起したが、同裁判所は婚姻破綻の責任は主として正夫の礼子に対する態度にあるとし、婚姻関係は全く形骸化しているものの、一弘、香はまだ義務教育中であり正夫に養育義務が残されているが、礼子の収入からすれば正夫の婚姻費用の分担は一弘、香の養育に不可欠であり、これまでの一弘、香に対する監護状態、正夫の従前の婚姻費用分担義務の不十分な履行状況等に照せば、仮に離婚の請求を認めて婚姻を解消するにしても、礼子を一弘、香の親権者に指定するほかないが、そうすれば正夫は一弘、香の扶養義務をつくさないおそれがあり、離婚により事実上の不利益を礼子の側に残すおそれがあり、その限りで婚姻を存続させる実質的意味が存在するとの理由で請求を棄却した。
(ケ) なお、本件申立てについて、礼子は申立人らが一弘らと同一戸籍に登載された場合、一弘ら(15歳及び14歳であるが、正夫の顔は全く覚えていない。)が将来戸籍謄本を見る機会があればショックだろうし、何らかの不利益を受けないとも限らないこと、金額面で折り合いがつけば離婚に応じるつもりであり、きちんと離婚するのが筋であると考えるので、申立人らが石川姓を名乗ることにつき反対である。
(2) 以上認定した事実に基づいて検討するに、申立人らは、出生以来父母と同居して成長し、保育園、幼稚園や友達の関係では終始父の氏石川を名乗り、また小学校においても学校に懇請して、戸籍上の呼称によらないことを事実上特に認めてもらつているが、これは、正規の事務処理には適合しない取扱いであるから、義務教育終了までそのような取扱いが許されるという保証はない。しかし、戸籍と異る氏の使用は監護者が選択したのであり、中学校においても小学校と同様の氏を使用することが不可能ともいえない。さらに、同居の家族であり、現在の親権者である正夫の氏を申立人らに名乗らせたいとする父母の配慮は、それなりに理解できる。しかし、それも今実現しなければならぬ程のものではない。他方申立人らが石川姓を名乗ることに反対する礼子の心情ももつともであり、婚姻関係破綻の原因は正夫にあるが、申立人らに対する父正夫の認知によつて同人の戸籍上婚外子の存在が明らかな以上、一弘、香の心情、あるいは就職等に関し、申立人の入籍がそれほど重大な支障をきたすとは考えられないうえ、申立人らの石川姓への氏の変更を認めれば、正夫が、益々一弘、香の扶養義務をつくさなくなるとの危険性についても、父親の婚姻家族に対する有責行為の有無という偶然的な事情によつて、氏の変更ができたり、できなかつたりすることになり、いうなれば親の責任を子に転嫁させるという結果になつてしまうのは不合理であることの他に、本件では、正夫と礼子、一弘及び香との正常な家族関係は崩壊してしまつており修復の可能性はなく、そのような状態では申立人らの石川姓への氏の変更を認めることと正夫が一弘、香の扶養義務をつくすこととの間に、親権者を定めることとなる離婚の場合と異なり余り大きな連関性を認めることは疑問がある。
しかしながら、礼子の前記心情は、単に感情的なものにすぎないということはできず、戸籍上平穏でありたいと願うことに対する精神的苦痛であるとしなければならないうえ、申立人らの氏の変更の必要性も抽象的なものであつて具体化しているとはいえない点があり、その法定代理人の有責性及び妻嫡出子らに対する扶養義務の懈怠の顕著な本件においては、双方の実情からみて、今現状を変更すること即ち申立人らの氏の変更を認めるに足りる事情があるとはいえないとするのが相当である。
(3) よつて、主文のとおり審判する。